東京電力福島第1原子力発電所の事故直後の原発建屋内の除染作業で、特殊フィルターが放射線量を劇的に引き下げ、一躍脚光を浴びた。原発災害の広がりを食い止めたこのフィルターを中心となって開発したのが、東京都内の中小企業。半世紀以上も前の技術の改良に挑み、日本の中小企業の裾野の広さを改めて見せつけた。福島第1原発事故の直後、原発建屋は、作業員が立ち入ることができず、原子炉の状況を把握する計測機さえ取り付けられない深刻な状況に置かれた。作業できるレベルにまで放射線量を下げるために使われたのが、ワカイダ・エンジニアリング(東京都板橋区)という中小企業を核にした産学連携で開発した特殊なフィルターだ。


 大量に発生する放射性のヨウ素やセシウムは、作業員や住民の内部被曝(ひばく)を引き起こす。従来型のフィルターでは建屋内の放射性物質の濃度はなかなか下がらなかった。空気中の放射性物質は、最終的にヤシガラ活性炭フィルターで取り除くことになっていたが、活性炭の表面の穴が大きく、そこに水分が入り込むと吸着性能が急激に落ちる構造だった。米国のデータでも湿度80%を超えると性能が急速に劣化することが分かっていた。福島第1の事故では発熱で大量の水蒸気が発生し、効果が上がらなかったのだ。


 これに対し、ワカイダが開発した活性炭素繊維製フィルターは湿度の違いにとらわれず効果を発揮する。このフィルターを使った局所排風機を建屋内に設置したところ状況は一変した。東電によると排風機を取り付ける前の2011年4月26日時点では放射性物質濃度が1立方センチ当たり4.8ベクレル。取り付け後の5月7日は、0.0197ベクレルと急速に低下。事故発生から約2カ月たって、作業員が立ち入りできるようになった。


 ワカイダが、このフィルターの開発に着手したのは2000年だった。同社は1993年に創業し、放射性物質を扱う医薬品研究などに使われる実験動物や実験廃液の処理装置を販売してきた。しかし、廃液を処理する機関やメーカーの統合で、装置の納入先やメンテナンスの仕事が減り、生き残りに向け、新事業の開拓を模索していた。


 開発のきっかけは若井田靖夫社長が「営業先の病院で、活性炭フィルターの交換を手伝ったこと」。活性炭フィルターは重さ60キロと大人2〜3人でないと交換できない。50年もの間、使い古された技術で「大手企業はどこも新しいフィルター開発などしてくれないと聞き、軽量化を思い立った」という。


 目をつけたのは活性炭素繊維だ。微細な繊維の表面を活性化すれば、表面積が大きく軽いフィルターができる。多くのメーカーを回り、東洋紡と開発契約を結んだ。東洋紡も興味はあったが、放射性物質に対応する技術の蓄積が少なかった。一方、フィルターの製品化には、国の許認可が必要になるため、東京大学との産学連携によって、性能を測定してもらいデータを提出、05年に製品化にこぎ着けた。


 最初に納入したのは病院。最大の市場は、原発をはじめ原子力関連施設と分かっていたが、さまざまな壁があり、なかなか成果を挙げられなかった。福島第1原発の事故で役立たなかった旧来型の活性炭フィルターが幅をきかせていたことに加え、フィルターも米国発の技術で活性炭素繊維製フィルターのデータがなかった。特に電力会社は、東電への納入実績を重視した。


 ワカイダは、事故をきっかけに納入業者を経由して東電から大量に受注。在庫がなく、「一度は断ったが、すでに決まっていた病院が納品を先延ばしにしてくれて、何とか納品した」(若井田社長)という。原発事故では最初の1週間をどう乗り切るかが問題になる。甲状腺がんのリスクを高める放射性ヨウ素131による内部被曝を回避するためだ。


 12年9月には、オフサイトセンター(原発の緊急事態応急対策拠点施設)などの指針に活性炭素繊維製フィルター設置が盛り込まれた。各地で原発再稼働への準備が進む中、全国の関連施設への導入が進んでいる。同じ技術を使い、昨年から家庭用にも放射性物質を除去する空気清浄機を発売し、現在はマスクへの応用も検討している。


 この技術は福島第1の事故を機に注目を集めることになったが、ベンチャーや大学に多くのシーズ(種)があっても、既存技術にあぐらをかいていては、今回のような成果に結びつくことはない。ワカイダと共同で特許を出願した東大TLOの山本貴史社長は「チャレンジする企業文化を醸成することが重要」と話している。(広瀬洋治)